綾陽君は本来王位
綾陽君は本来王位を望める立場ではなかったが、明と後金が満州で対峙する国際情勢の中で中立政策を維持する第15代国王・光海君を生ぬるいとする西人派が1623年3月13日、クーデターによって光海君を廃位し、仁祖を擁立して即位させた。朝鮮史上、仁祖反正という。
翌年、平安道で李-の反乱が起り、一時ソウルを占領したが、間もなく鎮圧された。生き残った者は満州に逃れ、後金に仁祖の王位簒奪を告げた。
丁卯胡乱西人派政権は国際情勢に暗く、親明反後金政策を鮮明にし、明将毛文龍の鉄山(平安道)進駐を認めた。
毛文龍は鉄山を根拠地としてしばしば後金の背後を襲ったため、後金主ホンタイジは1627年アミン(阿敏)に3万の兵を授けて朝鮮討伐に向かわせた。後金軍は鴨緑江を越え、平安道の平壌を占領して中和まで達し、鉄山の明軍も蹴散らした。毛文龍は海島に逃れた。姜弘立の斡旋によって朝鮮側が和議に応じ、兄弟の盟約を結んだので、後金軍は引き返した。
これを朝鮮史上、丁卯胡乱という。
翌年、平安道で李-の反乱が起り、一時ソウルを占領したが、間もなく鎮圧された。生き残った者は満州に逃れ、後金に仁祖の王位簒奪を告げた。
丁卯胡乱西人派政権は国際情勢に暗く、親明反後金政策を鮮明にし、明将毛文龍の鉄山(平安道)進駐を認めた。
毛文龍は鉄山を根拠地としてしばしば後金の背後を襲ったため、後金主ホンタイジは1627年アミン(阿敏)に3万の兵を授けて朝鮮討伐に向かわせた。後金軍は鴨緑江を越え、平安道の平壌を占領して中和まで達し、鉄山の明軍も蹴散らした。毛文龍は海島に逃れた。姜弘立の斡旋によって朝鮮側が和議に応じ、兄弟の盟約を結んだので、後金軍は引き返した。
これを朝鮮史上、丁卯胡乱という。
update:2009年09月14日
